touro123のブログ

どうぞゆっくりして行って下さい。

大内伸哉氏の連載を読んで

たまたま同じはてなブログでのエントリを見つけました。

連載(全9回)を読んだので、勝手にまとめてみました。以下の通りです。

labor-revolution.hatenablog.jp

著者が通っている美容室には、受付係のE君がいます。しかし、接客係のアンドロイドを導入することを店主Y氏は考えています。もしY氏がPepperを購入するならばE君はどうなってしまうのでしょうか?

E君の職種は,おそらく接客関係の仕事に限定されているだろう。そうすると,美容師の資格をもっていないので,Pepperに接客の仕事を奪われれば,清掃係くらいしか残っていない(シャンプー係だって資格がいる)。それだって,見習い美容師がやるだろう。いやルンバですむかもしれない。ということで,Y氏としては,E君にやらせる職種がないとなると,変更解約告知をやろうにもやりようがない。E君の居場所はないのである。
 E君が接客のプロとしてがんばるというのであれば,Pepper以上の生産性をもつか,Pepperが導入されていない職場を探すしかないだろう。

 なお、変更解約告知とは、主にドイツで認められているもので、日本でも①

と②は認められており、③は解釈次第です。

変更解約告知とは,労働条件の変更の申込みと解雇の意思表示が合体したものであり,労働者は,①職種変更に応じる,②拒否して解雇される,③裁判所で変更が相当と判断されれば変更に応じ,そうでないときには変更に応じないという留保付き承諾をする(unter Vorbehalt annehmen),という3つの選択肢がある

つまり、これからの職業人生では、一つのことに特化するだけではダメそうだというのが著者の言いたいことなのです。

「お前は,二兎を追う者は一兎も得ず,という格言を知らないのか。無責任なことを言うな」と叱られるかもしれないが,私が言ったことは弁護士だけにあてはまる話でもなければ,士業だけの話でもない。これからの若者は,「パラレルキャリア - Wikipedia」(parallel career)を目指すべきなのだ。本業以外の副業をもち,キャリアは複線化せよ,ということだ。本業が農業で,女優が副業であったり,本業は芸能人で,ボクシングでオリンピックを目指したり,銀行員をやりながら,シンガーソングライターをしたり,というような「二足のわらじ」をはいたほうがよいということだ。資金繰りで苦しむ中小企業になかなか金を貸してくれない銀行で働く人が,「少しは私に愛をください」と歌うところがいいのだ。

しかしながら、実際問題、ロボットがどこまで雇用の場に浸透してくるのかは誰にもわかりません。

人間には,時というものがある。時が流れて,老い,死んでいく。その限時性が,生を美しいものにする。仏教の輪廻転生は,死の意味を相対化させるが,そこには,やはり時の流れがあった。しかし,機械であるロボットには,時の流れがない。だから,疲れないし,老いない。

 自ら学習する能力を身につけて,疲れず,老いない人工知能は,どこまでも知能を進化させていくのだろうか。

現実的には、政府もこういった課題については、検討の場を設けているようです。

厚生労働省が「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」という懇談会を立ち上げた。「懇談会」というと,学校の先生とPTAとの保護者懇談会をすぐ思いつくが,Wikipediaをみると,第2の意味があって,「中央省庁等の行政庁に設けられる,いわゆる『行政運営上の会合』。『私的諮問機関』とも呼ばれる」だそうだ*1

  どうして懇談会なのか。厚生労働省には,労働政策審議会という「正規軍」がある。だから,この懇談会は「外人部隊」ということだ。

*1:懇談会 - Wikipedia

 

そして、連載を組み込んだ著書(『AI時代の働き方と法』)を大内氏は出版されています。

books.rakuten.co.jp

最後に、歴史を参照しつつ、欧米の論理に盲目的に従うことに対して警鐘を鳴らしています。

人工知能社会(AI社会)の到来は避けられない。この不可逆的な流れに人類は抵抗することはできない。資本主義が世界中に浸透したように,AIは圧倒的な力をもって世界を席巻して,新しい社会秩序を作るだろう。しかし,ここでも,私の態度は変わらない。新しい社会秩序を暴力的に転覆させることなんてできないし,すべきでもない。必要なのは,AI社会のなかで,みんなが豊かになり(それは物質的な意味だけではない),幸福になろうとするためにどうすればよいかを必死に考えていくことだ。

 だから人工知能vs人類というとらえ方はすべきではないのだ。二項対立は西洋哲学の基本にある枠組みで,物事の本質に迫るときに有効なものだが,政策や実践の場で,これを貫徹するのは,労使の階級的対立と同様,望ましいことではない。人工知能と人類との関係も,アジア的な包摂的アプローチで臨むべきだ。

まとめは以上です。